2年前2013
以下、2013年9月に書いた日記。
70歳を超えてもまだ仕事をしている父は、週に何度か背広を着て出かける。
今日も朝からネクタイ姿で家の中を慌しく動き回っていた。
「おい、鍵しらんか」と母に聞く父。
母、朝食の後片づけをしながら「えー知らない、ズボンのポケットは?」などなど。
普段から見慣れた父の姿、意識することはなかったのだけれど、今日はなぜかワイシャツのカフスボタンが目に入った。
「へぇ、意外ときちんとしているんやなぁ」
最近の自分の怠惰な生活や年頃の女性らしからぬ恰好に、我ながら嫌気がさしていた私は、同じく怠惰だと思っていた父の手元をじっと見つめてしまった。
カフスそのものはお洒落なデザインとは思えなかったし、ないほうがすっきりしてていいなぁなんて思うんだけど。
そして、思っていたより父の背が低いことにも気が付いた。
それは私が大きくなったから…とか心情的な所以ではなく単純に、あれ、こんなに低かったけな、と。
あまちゃんを観ながら「お父さん、背ぇ何センチ?そんなに低かったけ?」と聞けば、
横から母、ぶすくれながら「お父さん嘘ついてたのよ、170あるとか言ってたけど、ほんまは10センチ以上嘘ついてた。」
父、笑いながら「160や。昔は163あってんで、3センチ最近縮んだわ。」
兄から70歳の誕生日にもらった万歩計をつけ、仕事に行く。
使いこなせていないスマホ、自分でもそう思いながらも、ガイドブックまで買って使う。(明らかにタップする力が強すぎる)
家ではだらだらしてて部屋散らかっているけれど、鞄の中は綺麗。
キャラメルとかチョコとか、ボンタンアメとか、ちょっとした甘いものが好きで、机や鞄のなかには何かが必ず入っている。
小さいころよく甘いものを求めてこっそりあさったなぁ、今も時々するけれど。
2020年、オリンピックが東京で開催することが決まり、7年後を想像しまずは自分…ひととおり妄想して不安になって、父や母は…?と思って考えるのを止めた。
それでも必ずオリンピックは来るし、そのときどんな状況であれ、かならず招致決定の年、今、そしてこの家、当時の自分や家族を思い出すんだろう。
そう思いながら今を生きることは嫌だなと、振り切ろうとしても7年後の視点がしばらく頭から離れない。
父は今日、打ち上げがあって夕食不要。母は夜からボランティアで夕食不要。私はこれから歯医者。猫たちは寝ている。